人的資本が、経営を変える―データと物語で"人が価値を生む時代"を可視化する―
Vol.1 人的資本って何?―企業価値を変える"人の力"の正体―

更新日 2026.03.262026.03.26コラム

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「人的資本」という言葉は、経営や人事であれば一度は耳にしたことがあるかもしれません。
ですが、実際の現場では、正直ピンとこないということはありませんか。
「人を大切にする、ということなら、今までもそうしてきた」、「研修も福利厚生も働き方改革としてやってきているけど、それとは違う?」、あるいは「数値で示せと言われても、人の価値ってどう測るの・・・」といった声をよく聴きます。
本シリーズでは、人的資本を“人事施策”ではなく“経営戦略そのもの”として捉え直し、基本を知りたい方にも実務で悩んでいる方にも理解が深まる実践的な内容としてお届けします。GPTW Japanの組織コンサルタントとして、長年多くの経営や人事と対話を重ねてきた今野 敦子さんに聞きました。

「人はコスト」から「人は資本」へ。いちばん大きく変わったもの

Q. そもそも「人的資本」とは、何を指すのでしょうか。

企業は一般的に「人・モノ・カネ・情報」といった経営資源によって成り立っています。このうち「人」は、これまで「人的資源」と呼ばれ、“コスト”と捉えられてきました。コストというのは、使えばなくなるもの、できるだけ抑えたいもの、という扱いになりやすいものです。

それに対して「人的資本」という考え方は、人をコストではなく、利益を生み出す資本として捉えます。具体的には、従業員が持つ知識やスキル、能力といったものが、新たな価値を生み出す源泉になる、という発想です。

工場や設備に投資をすれば生産性が上がるように、人に対しても育成や環境改善といった投資を行えば、能力が高まり、その結果として企業価値が向上していく。人的資本とは、そうしたメカニズム全体を捉える考え方だと言えます。

Q. 人に関するコストと言えば「人件費」や「研修費」が思い浮かびますが、人的資本という考え方が登場してこれらの何が変わったのでしょうか。

もちろん、会計上の人件費や研修費がなくなるわけではありません。大きく変わるのは、経営としての捉え方です。

これまで人件費をコストとして捉えていると、「払ったら終わり」「企業として積み上がらない支出」という意識になりがちでした。その結果、賃金はできるだけ抑える、研修は最低限にする、経営が厳しくなればまず人を減らす、といった判断につながりやすくなります。

一方で、人的資本という考え方で見ると、人件費や研修費は“なくなるお金”ではなく、将来の価値を生むための投資になります。すると、「どこに、どのように使えば、次の成長につながるのか」という視点で意思決定をするようになります。

たとえば賃金の払い方一つでも、単に最低限を払うのではなく、「今回はチームで達成した成果だから、派遣社員も含めて分かち合おう」と一時金を出す。すると金額の大小ではなく、「自分たちの成果だ」「大切にされている」という感情が生まれ、それが次の挑戦へのエネルギーになる。私は、こうした“効かせ方”まで含めて投資だと考えています。

なぜ今、人的資本が経営の中心に来たのか - 「人を守る」から「人に投資」へ

Q. 人的資本がここまで注目されるようになった背景には、何があるのでしょうか。

背景は大きく二つあります。

一つ目は、気候変動など地球規模の課題が深刻化し、短期的な利益よりも中長期的な企業価値が重視されるようになったことです。ESG投資の広がりに象徴されるように、企業は経済的価値だけでなく、社会的価値も含めて評価される時代になりました。その中で、「人をどう扱っているか」は重要なテーマになっています。

二つ目は、GAFAに代表されるような、有形資産ではなく無形資産で価値を生む企業が台頭したことです。ブランドやIT、ソフトウェアといった無形資産を生み出しているのは、結局のところ人です。人への投資を怠れば、競争に勝てないという現実が、企業の意識を変えた側面もあります。

こうした欧米をはじめとする諸外国の動向から、日本でも20233月期以降、有価証券報告書で人的資本情報の開示が求められるようになり、企業の関心が一気に高まりました。

Q. 人的資本を重視する動きは欧米の方がかなり先行していたようですが、欧米と比べると、日本企業は人をどのように扱ってきたのでしょうか。

日本企業は、歴史的に見ると「人を大切にする」という価値観を強く持ってきたと思います。特に大企業では、終身雇用や年功序列といった制度を通じて、従業員を長期的に守り、育てるという思想がありました。

これは決して否定されるものではなく、高度経済成長期には非常に合理的でした。人を確保し、長く働いてもらうことが企業成長の前提だったからです。家族的な風土や手厚い福利厚生も、従業員のロイヤリティを高める役割を果たしていました。

ただ、この「人を大切にする」という姿勢は、必ずしも「人を投資対象として捉える」ことと同義ではなかったと思っています。日本企業は、新卒からの体系的な研修実施や定期異動など、長期的な視点での人材育成に力を注いできました。しかし、それは、「組織内で長く活躍させるため」であり、その成果を財務的な価値として可視化するという視点は、当時はあまり必要とされていなかったかもしれません。

一方で、欧米企業では比較的早くから、人材を明確な投資対象として位置づけてきました。能力や成果に基づく評価、報酬の透明性、そしてそれらを外部に開示することも、20年以上前から行われてきました。つまり「市場で通用する専門性を持つ人材」を育て、その投資額やリターンを投資家や求職者に明示することに重きを置いてきたと言えます。

現代では日本でも働き方や価値観が多様化し、個人のキャリア観が変わる中で、その前提が合わなくなってきた。その結果として、人的資本という考え方——つまり人を戦略的に活かす視点への転換が、今まさに求められているのだと思います。

人的資本は「能力を持つこと」ではなく「発揮されること」

Q. 「人的資本に投資する」とは、人材に知識やスキルを習得してもらうことなのでしょうか。

研修や能力開発機会を提供することも投資の一環ではありますが、私はそれだけでは足りないと感じています。個人が能力を持っているだけでは、企業価値には直結しないからです。

重要なのは、それらが組織の中で有機的に発揮されている状態です。仲間とのよい関係性、上司のリーダーシップ、安心して意見を言える環境があって初めて、人の能力は最大限に引き出されるのです。

Great Place to Work(R)ではこれを「人の潜在能力の最大化(Maximizing Human Potential)」と呼んでいます。人的資本とは、単に能力があるかどうかではなく、その能力を使いたくて仕方がない状態がつくられているかまで含めて考えるべきものだと思っています。

Q. 「人の潜在能力の最大化」、良い言葉ですね。これができている企業と、そうでない企業の違いは何なのでしょうか。

端的に言えば、経営層が本気でコミットしているかどうか、そして自社らしいカルチャーを育んでいるかどうかです。

さらに噛み砕くと、従業員が「仕事に行くことを楽しみにできているか」。この一点に集約されると思います。残念ながら、日本では仕事を心から楽しみにしている人はまだ多くありません。

だからこそ、人的資本経営は「やらなければならない制度対応」で終わらせてはいけない。人を本気で価値創出の源泉として捉え、経営の中心に据える。その覚悟があるかどうかが、企業の未来を分けるのだと思います。

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

難しく捉えられがちな「人的資本」の定義について、手触りをもって理解いただけたでしょうか?次回Vol2では、シリーズタイトルである「人的資本が、経営を変える」の核心に迫ります。『人的資本はどのように企業のパフォーマンスを高めるのか?』。お楽しみに!

Great Place To Work(R) Institute Japanシニアコンサルタント 今野 敦子(こんの あつこ)

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名古屋大学大学院経済学研究科(経営管理学)修了
フランス国立ボンゼショセ工科大学MBAコース取得。
外資系航空会社、医療系商社の人事部を経て、リクルートマネジメントソリューションズに入社。人事領域において、採用・制度設計・人材育成など一連の業務に携わる。
2009年GPTW Japan設立メンバーとして、事業立ち上げに参画。働きがいのある職場を目指す多くの企業などに調査分析、経営層への提言と支援を行う。