なぜ今、行政が『働きがい改革』に取り組むのか? 広島県が牽引する中小企業の人的資本経営
更新日 2024.12.202024.12.16対談
少子高齢化による労働力人口の減少やDXの進展、脱炭素化の加速といった要因により、産業構造が大きく変化しています。経営戦略の再構築や、その戦略を実現するために知識・スキルを備えた人材の確保、さらには人材の力を最大限に引き出す取り組みが急務です。特に人的資本経営は、リソースの限られたローカルエリアの中小企業にとって、ますます重要になるでしょう。広島県商工労働局 人的資本経営促進課課長の平賀 崇史氏と、Great Place To Work® Institute Japan(以下、GPTW)の植田 若葉が、行政が地元企業の人的資本経営を促進する理由、そして広島県としてその取り組みを推進する意義について語りました。
目次
なぜ広島県は「人的資本経営促進課」を創設したのか
植田 若葉(以下、植田) まず広島県商工労働局「人的資本経営促進課」についてお伺いしたいと思います。この課が設立された経緯を教えていただけますか?
平賀 崇史氏(以下、平賀) 私たちはこれまでも「働き方改革」や「リスキリング」、「女性活躍推進」といったテーマに取り組んできましたが、それぞれ独立した課で行っていたため、どうしても縦割りになりがちでした。しかし、人材への投資や人的資本経営を推進するためには、政策を総合的に実施することが重要です。そのため「人的資本経営促進課」を設置し、今後は、働き方改革やリスキリング、女性活躍といった関連施策を包括的・横断的に進めていきます。
植田 新組織の設立により、さらに上位の目的に向けて総合的に支援が行える体制になったのですね。広島県における「人的資本経営促進課」の位置づけも教えていただけますか?
平賀 広島県は自動車産業に代表される製造業が盛んな地域です。デジタル技術の進展などにより産業構造の変化が進む中で、企業が持続的に発展していくためには、人的資本経営は非常に重要な課題だと認識しています。重要な課題であるからこそ、「人的資本経営」を課名にそのまま取り入れました。本県は「イノベーション立県」を旗印に掲げており、その一環として我々も「できることは何でもやる」という姿勢で取り組んでいます。
一方で地方公共団体としては、国の方針を地方の実情に合わせて落とし込む役割も重要です。たとえば、国はリスキリングにおいても個人のキャリア形成支援を重視しています。しかしながら、地方では、リスキリングはまずは企業が主導し、地域が一体となって取り組んでいく中で、個人の自律的なキャリア形成を考えていく必要があります。行政として地域の実情を把握し、フォローを行うことが重要なのです。
経営戦略と「人への投資」をいかに結びつけるか
植田 どのような企業が主な支援対象となるのでしょうか?
平賀 「こういう会社でありたい」というビジョンを持ち、それを人材の力で実現しようとする企業であれば、私たちの支援対象となります。
植田 人への投資を重要視する経営者の方々は多いと思いますが、実際にはどんな悩みを抱えているのでしょうか。
平賀 「人を大事にする」という理念を持っているものの、具体的に「経営戦略としてどう進めていけばよいのか」という点で悩まれている企業が多いです。女性を管理職に登用したり、リスキリングと称して学習させたりすること自体が目標になってしまい、本来の目的を見失ってしまうことも多いですね。ですから、まず会社として「どうありたいのか」を明確にする必要があります。
植田 人材戦略を、経営戦略と紐づけて表現するのが難しい部分もあるのでしょうね。
平賀 そうですね。そのことで、経営戦略を実行する現場のリーダーや社員に対する共有の難しさに直面している企業が多いです。また、実行フェーズにおいても、リソースの不足などの制約もあります。悩みは多岐にわたりますが、まずは経営者が持つビジョンと人材戦略を結びつけるところが大前提ですね。
植田 そうした企業に対して、広島県はどのような道筋や指標を示して支援していますか。
平賀 多くの経営者の方々は、すでに人を大事にし、事業を通じて社会に貢献したいと考えておられます。ただ、それぞれが取り組んでいることが別個に進んでいるため、向かうべき方向を再確認し、それを体系的に捉えていただくと、企業にとっても従業員にとっても大きなメリットが生まれるのではないかと考えています。ですから、今までの取り組みを改めて位置づけ、再整理することが、さらなる効果を生むためのカギではないでしょうか。
植田 人的資本経営に関する取り組みを再整理し、位置づけを明確にするのですね。
平賀 例えば、「リスキリング」という新しい言葉が出てきて、自社に関係ないと感じる企業もありますが、実際に話をお聞きしてみると、既に同様の取り組みを実施しておられることも多いのが実情です。
植田 取り組みの再整理や位置づけが、企業にどんなメリットをもたらしますか。
平賀 心理的なハードルが下がる点が大きいですね。先ほどのリスキリングのように新しい概念が導入されると「また新しいことをやらなければならないのか」と感じられるかもしれませんが、似たことを既に行っていることも多い。「リスキリングは御社がすでにやっていることですよね」と再整理することで「自分たちも取り組める」という感覚が得られます。そして、「何のためにやっているのか」「なぜやらなくてはならないのか」が明確になります。
人的資本経営のカギは「見える化」にある
植田 無意識に行っていることを意識化、言語化することで、より力強い施策として推進することができるのですね。
平賀 その通りで、「言語化」や「見える化」が大切だと思います。行動が起こしやすくなるからです。会社として変えるべきではない価値観やパーパス(目的)はしっかりと守りつつ、それを実現するために必要な変化は柔軟に受け入れること。これがまさに、経営者が率先して「見える化」を行い、必要な変革を進める第一歩になります。
植田 「働きがいのある会社」調査や認定ランキングに参加する費用等の一部を補助する事業など、広島県の働きがい向上施策に活用いただいている理由も「見える化」が目的なのでしょうか。
平賀 「働きがい」は目に見えにくく、仕事への情熱や意義がどう感じられているかを見える化するのは難しい課題です。外部機関であるGPTWに依頼したのは、世界的に実績を持ち、客観的に企業の働きがいを測定・評価できる体制を持っていることが大きな理由です。単に従業員の満足度を測るだけでなく、会社全体の経営戦略とも結びつけて調査するため、経営側と従業員側の双方に目を向けて「働きがい」とは何かを捉えることができます。
植田 取り組みの中で見えてきた成果や感じていることがあれば教えてください。
平賀 働きがい優秀企業の表彰などの形で可視化することにより、実際に働きがいづくりに取り組む企業が増えていると感じています。以前は「働き方改革をやっていますか?」とアンケート等で聞いても反応が少なかったのですが、今ではこの分野に関心を持つ企業が増えました。全体を俯瞰して見ても、上昇傾向にあることが報告されています。
県内企業の事例を通じて、経営者に学びと刺激を提供
植田 以前、私は広島県でベストカンパニーに選ばれた企業の経営者の方々と対談したのですが、働きがいに注力している経営者の存在が、地域の他の経営者にとって影響力を持つと感じました。
平賀 企業のコア・コンピタンスは真似できないですが、人事や組織に関するノウハウについては他社を参考にしやすい面がありますよね。県内の企業同士で事例を共有し、学び合う環境が形成されていくことを望んでいます。
植田 今後の展望についてもお伺いできればと思います。現在、取り組み中の課題などお教えください。
平賀 現在の課題は「人的資本開示」の取り組みの強化です。具体的な取り組みとして、「人的資本経営」をテーマにした「人的資本経営研究会」という企業コミュニティを設け、人的資本に関するワークショップや情報開示についての支援を行っています。
会社が自社の人的資本を適切に見える化し、外部へ発信することで優秀な人材の採用につながるでしょう。また、金融機関や投資家の視点でも、人的資本がしっかりしている企業は評価が高まり、有利な資金調達や新たな支援の可能性が広がります。見える化を進め、外部からの評価を通じて「もっと良い会社にしよう」というモチベーションが生まれるのです。
植田 本来、非上場企業には開示の義務がない中で、それでも開示が重要であると進めていらっしゃるのですね。
平賀 開示自体が目的ではありませんが、人的資本経営を進める上で、開示は有効な手段であると考えています。人的資本への投資は企業の持続的な成長、ひいては地域経済の発展にもつながる要素です。特に広島県内の企業の9割以上が非上場ですから、こうした企業が開示を起点とした人的資本経営に取り組むことは地域経済の活性化にも直結します。実際の開示作業には手間がかかりますが、我々の「人的資本経営研究会」では情報整理のためのツールも提供し、効率化の支援を行っているところです。
地方企業だからこそ輝く、人的資本情報を開示する価値
植田 人的資本情報の開示では、手段と目的が混同されがちだと思いますが、その点について経営者の反応や理解度はどのように感じられていますか?
平賀 現在、研究会には約100社の企業が参加し、ワークショップも開催しています。経営者の方々も開示を目的ではなく、手段として捉えており、人的資本経営を進める上での一環だと理解しているようです。ただし、実際に開示を進めると課題が浮き彫りになり、望まない結果が見えることも。「見える化」のハードルを越えるために、経営者だけでなく、幹部クラスの社員も参加し、経営管理の視点からどう進めるべきか議論する機会を提供しています。
植田 GPTWの調査に参加している企業の多くは首都圏に本社を持つ企業ですが、地方の企業にもスポットライトを当てて取り組むことは意義があると思っています。むしろ地方には、地域性や独自の魅力を持った企業が多くありますので、広島県の取り組みが先進事例として他地域にも波及することを期待したいです。
平賀 私たちは「人と向き合い、人に投資をし、社員一人ひとりの活躍を引き出す」ことが最も重要だと考えています。地域に根ざした企業は、従業員同士や地域の人々との距離が近いです。その特性を活かして良い事例を広めていきたいですね。今後も意欲ある地方企業のために、プロフェッショナルの力も借りながら支援を続けていきたいと思っています。
広島県 商工労働局人的資本経営促進課 平賀 崇史 様
Great Place To Work® Institute Japan マネジャー 植田 若葉
2016年リクルートマネジメントソリューションズに転籍し、営業職として担当顧客企業が抱える人・組織課題に対するソリューション提案を担う。
2022年よりマネジメント職としてGreat Place to Work(R) Institute Japanに参画。事業戦略の策定、組織マネジメントを担う傍ら、自らもコンサルタントとして「働きがいのある会社」調査の分析・報告、顧客の働きがい向上支援を行う。